無月夜烏逢魔譚 (お侍extra 習作30)

          〜千紫万紅、柳緑花紅 口絵もどき

 


          




 鬱蒼とした森の中は昼でも暗く、ましてや今は未明までまだ遠い真夜中で。それでもいつもの晩ならば、梢の狭間から降り落ちた月光が、真昼の木洩れ陽もかくやという目映さで、夜陰の中をまだらに染めるものを。今宵は新月、夜穹に月はない。陰鬱な夜気が垂れ込める中、何か生き物が…姿は見せぬままながら駆け抜けた気配だけが立ち、予兆なく枝を鳴らしたその物音へ、
「ヒィイイィィ…。」
 それへと怯えてのこと、野太い声を何ともか細い代物にして絞り出しての、情けない悲鳴を上げた者がいる。そして、
「おいおい何だよ、だらしのねぇ。」
 何か ちんまいのが俺らに怯んで逃げただけだと、そんな相手を呆れたような語調にて窘めた声が続いたところから察して。どうやら、少なくともの二人ほど、こんな場所にて向かい合う者らがいるらしく。こんな場所で、こんな時刻にというだけでも十二分に怪しいだろう、この逢瀬。しかもその上、
「で? 首尾の方は?」
「上々でおます。」
 訊かれた男が、何とか気を取り直しての下卑た笑いを口許に張りつけて、
「ゆんべ話したお侍とやらは、あくまでも無体な輩を退治すると言って聞かんかったらしゅうてな。長老は“もし万が一にも土地神様が本当にお怒りやったら どがいしてくれる”言うて詰め寄ったんやが、そんな非科学的なことに心砕くは正気の沙汰ではないなんて、四角い理屈ば言い出しおったもんやから、長たちが怒って追い返してしもうたのやと。」
「ほほぉ。」
「オラ、支度小屋の外で聞き耳立てとったんじゃ。したら、長老のトコの下働きの女衆らがその辺の話をしとっての。その一部始終を聞いたんやから間違いねぇだよ。」
 ふんっと胸を張る男へ向けて、
「で?で? 贄は どがいじゃ?」
 気を逸らせて訊いたその途端、相手の声から張りが抜け去って。
「そりゃあ別嬪じゃったぁ…。」
 うっとりふにゃりと呟いたそのままに、これまで見たどこの村の娘より、そりゃあ垢抜けた別嬪での、と、舌によりかけて語り出し。
「緊張もあってのことやろが、支度の間中、ずっと澄ましたお顔ば しておっての。その澄ましっぷりにも何かこう、気品があるっつうか、凄みがあるっつうのか…。」
 伝令役の男が自身の語彙の足らなさにとうとう身もだえしたほどに、今宵の贄は格別の美人であるらしく。だが、
「そんなことは、どないでも よか。」
 自分は見ていないものだからと、呆れたように叱咤の声音。訊いた側が知りたかったのは他の事情・様態であるらしく。

  「ちゃんと決まりごと守っての“婚礼装束”着とらしたか?」

 それこそが大事なのだぞと、確認するように訊く相手へ、
「ああ、それは間違いなく。」
 伝令役が慌てて何度も頷首する。
「お粧
(めか)しにって、煌々と明かりつけよったから よう見えた。しきたりの通り、金の笄(こうがい)に珊瑚のかんざし、白金の護り鎖と銀の腕輪や胸飾りやて色々と、ぎっちりみっちり まとうておったで。」
「冠は?」
「漆のイラクサ細工の中へ、大きい金剛石を戴いとったぞ。」
 こ〜んな大きいのと、親指と人差し指で、宝石にはあり得ないほどもの大きさの輪を作って見せてから、
「あれはもしやして長老の縁続きの娘やなかろかの。」
 此処いらには まずはおらん、珍しい金髪の、一遍も逢うたことのなか女御やったし、あんなに豪勢な嫁入り支度も、オラ初めて見たかんなと、とことん呑気な言いようをする相方へ、
「興奮して浮かれてんじゃねっぞ。」
 訊き手だった側の男が再び呆れたらしく、手にしていた白木の長棍棒の先にて、軽くのコツンとながらも相手の頭を叩いてやり。
「ええな? お前はこのまま村サ戻れ。」
「へえ。」
「森を出がてら親方が明け鳥の鳴き真似すっから。そしたらこのお札サ振り回して、せいぜい騒いでおれ。土地神様からのお許しが出たとか何とか言うての。よしか?」
「へえ。」
 男から渡されたは、長四角の御幣とそれから、握り飯くらいの丈夫そうな布袋。持ち重りのするその感触へ、思わず“ふへへ”とだらしなく微笑ったところから察して、内部からの手引きをしたこの男への、その内通への礼金とやらである模様。
「別に疚しいことやない。しきたり通りの豪勢な嫁入り支度が出来よる豪農の家にしか負担はかけとらんでな。」
 娘へも一切手ぇ出さずの、傷物にもせんと翌日には返すのや、土地神様のご意向やいうて後は黙っとったら絶対にバレはせん…と。励ますように肩をどやしつけてやり、ささ、村は向こうじゃと、貧相な背中を夜陰の中へ押し出して。姿が消えたのを見計らい、

  「…あほうが。」

 こそりと。居残った男が呟いたは、本性の顔にての本音に違いなく。
“こっちの顔を見られるやも知れんのに、娘を返す訳がなかろうよ。”
 ここいらの方言を混じえて話して信頼させ、なに大した害はないと、せいぜい安心させるための法外な嘘を、まんま信じた馬鹿正直者が消えた方向へと、嘲るように微笑って見せて。長棍棒を持った男は、その肩をそびやかすように振ると、踵を返しての反対方向の夜陰の中へと、その身を潜り込ませて…消えたのだった。





            ◇



 時折 足元や梢の先に微かな気配を表しては夜気を乱す生き物の他にも、何かしらの生気が満ち満ちた、そんな夜陰が分厚く垂れ込める中を。村の若い衆らが六人掛かり、黒塗りで蓋つきの大きな四角い櫃
(ひつ)を肩上へと掲げるように抱え上げ、そろりそろりと運んでいる。先導役の長老や、前後に配された老人たち数名がかざす松明の明かりが、質のいい漆塗りの黒い表面をつややかに照らしており、高さ深みのある大きさや形から言って、納戸や蔵へと収める“長持”のようなものなのだろうが、今はともすれば哀れな亡骸を収めた柩のようにも見えかねず。息を合わせて運ぶ男衆らの表情も、中に収められし存在を知っていればこそ、一様に冴えぬそればかり。これはこの土地の古くからの婚礼の仕儀に準(なぞら)えられていることで。花嫁は、持参金としてそれは豪奢な装飾品をありったけ身にまとい、純白の小袖や打ち掛けという婚礼衣装を更なる華美さで飾り立てる。ところが、豪農の娘であればあるほど、それらが重くて自力では歩けなくなる。そこで、そんな有り様の嫁御を…これも豪華な蒔絵の櫃に絹や宝玉と共に収め入れ、使用人の男衆が担ぎ上げ、嫁入り先までを厳かに運ぶという風習があって。土地神様からの文には、捧げ物の娘は予の妻として迎えるもの、よってそれなりの支度をさせて連れて参れと記されており。
『こうまでのお怒りを放っておいたは、儂の不調法。』
 長老はそう言うと、遠縁の娘とやらを大急ぎで呼び寄せての言い含め、今度
(こたび)の人身御供にと差し出したのだとか。玄関先にて男衆に御手を掲げられて導かれ、片側の壁を倒した櫃へ、楚々と乗り込んだ麗しのその姿。髪をおおった紗のかつぎに仄かに透けた横顔の、何とも端正な輪郭が哀しげに俯いていて。あまりに粛々とした空気の重さに打ちのめされてか、今日が初見のお相手だというに、家人の皆して目許を覆い、涙無くしては見送れなんだそうな。
「…此処じゃ。」
 一行が辿り着いたは、鎮守の森の中央近く。先日新しく修復し直した祀所の白木の祭壇が、誰が灯したか明々とした幾つもの篝火に囲まれ照らされ、森の醸す重々しい湿気と夜陰の中、痛々しいまでの白さで浮かび上がっている。昔はそれなり、季節毎に祭りや行事を執り行えば、その締めくくりには必ず、里の神社から此処までを、灯籠や提灯を灯した神輿や山車を連ねての土地神様の行幸などとしていたものが。時代が過ぎて、いつしか“祭祀は神社のみでも事足りる”という傾向に落ち着きだし、何もないのみならず、足暗がりで危険な鎮守の森へは村人たちの足も徐々に遠のいて。そこからますますのこと鬱蒼としてしまい、すなわち“神威垂れ込める聖域”という封が厳重になってしまっての、今のこの現状。
「土地神様。儂ら、あなた様を敬愛し崇拝奉る、敬虔なる気持ちに何ら変わりはございませぬ。」
 それでもこたびは、そのお怒りが激発なされた。これまでの有り難き沈黙をこそを重々思い知り、これよりは不調法の無きよう、信仰信心の心根に磨きをかけて、日々、崇拝祈祷を欠かさぬよう、此処に堅き約定を奉りまする…と。一通りのご挨拶を長老が捧げてから、その身を譲って、男衆らを祭壇へと向かわせる。婚礼用の特別な櫃なので、長持のように蓋の閂を兼ねてではなく、輿のように底部に担ぎ棒が通っており。それをそろりと、呼吸を合わせて降ろしつつ、祭壇の壇上へ静かに静かに鎮座させたるその間合いへと、

  《 ご苦労であったの。》

 突然の不意に、何処からともなくの声が立った。頭上からとも足元地下からとも解釈出来そな、何とも不気味な声であり、

  《 贄はその心根をのみ愛でてのち、無事に村へと戻してやろう。》

 ところどころで割れる何とも耳障りな声は、ぬけぬけとそう言って、

  《 今後も、信仰厚く、正直であれ。》

 何だか中途半端な宣辞を述べると、だが。これはさすがに不思議なことには、ぱぱぱ…っと篝火が勝手に、しかも一斉に消えたので、
「ひゃあぁぁっっ!」
「ちょ、長老様っ。」
 一体どんな魔物が降臨したかと、男衆が揃って慌てふためく中、
「土地神様が急かしておいでだなも。帰ぇんべ、ほれ、急ぐだっ。」
 皆して腰を抜かしかけつつも、何とか守った松明の明かりを杖に、這う這うの体にてその場から駆け去ってしまった村人たちであり。それを見送っての嘲笑か、


   ざ、ざざざざざぁぁ…っと。


 夜陰を叩くように、常緑の梢を打ち鳴らす風が吹き抜けて、それから。不吉な枝なりのざわめきを宥める静謐が、周囲へ広がり切るちょっと手前のそんな間合いへ、

  「…ふ、くくっ。」

 奇妙な声が沸き立った。ぐふふと低く響いたその声は、やがては押さえ切れない高笑いとなり、釣られたように上がった別の何人かの高らかな嘲笑の輪が出来て、祭壇前へとずかずか寄って来る。
「見たか、あれ。」
「見た見た。」
「結構怖もての兄ちゃん揃えてたくせに、何だ? あのみっともなさは。」
 好き勝手な言いようを並べる野卑な声が上がり、祭壇に据えられた櫃を取り囲む一団が現れた。どの男も腰や背中に各々の刀を帯びており、裾長の着物を尻はしょりして足元を軽快にしたいで立ちは似たり寄ったりの、どうやら全員が同じ仲間うちであるらしく、
「弥太、そんな別嬪の贄だってか?」
「おうさ。草にした鍛冶屋の若造、凄げぇ興奮してやがってよ。垢抜けてて凄みのあるほど気品のある、金髪の美人で…とか何とか言ってやがって。」
 あられもなく身もだえしてやがってよと、その話を直接聞いたあの男が大仰に真似をして見せ、仲間からの笑いを誘っている。そんな男らの声の中へ、

  「ほほぉ、そんな別嬪なのかい。」

 再び、やはり誰が手を触れることもなく、一斉に点火された篝火の下に巨躯を浮かび上がらせて。話へ割って入ったは、先程の怪しき声の主。今はちゃんとした人声に聞こえるから、大方 伝声管か何かを通しての呼びかけで、声を巧みに怪しく誤魔化したに違いなく。
「お頭、上手く行きやしたね?」
「おうよ、農民ってやつぁ想像力が貧困でいけねぇや。」
 神様だぞよと重々しくも語りかけ、ちょいと巧みな仕掛け、野伏せり崩れの兎跳兎に頼んで、土杭や堰の破壊などなどという“奇跡”を見せて、足元掬ってやりゃあ。どうだ、たちまち右往左往してこっちの言うこと何でも信じやがる。
「篝火のからくりだって、こんなもん、ちょっと大きめの町に行きゃあ自動の消火や点火なんて当たり前の仕組みなのによ。」
 ぐふふと笑い、
「自分さえ良けりゃ何だってする。神様か悪鬼かも確かめず、若い娘をどうぞと差し出しさえする。ほんに、馬鹿な連中よの。」
 他の手下と意を合わせ、笑止笑止と下品な声を上げて高らかに嘲笑している一部始終を統合すれば、自ずと見えて来るものがあり、

  “…やはりな。”

 わずかな隙間から零れ入る篝火の光を受けて、暗がりの中に白い手が浮かぶ。裾の長い衣紋の下に、きちんと揃えた膝の上。形のいい拳が…自覚なしに くっと握られたのは。贄とされし か弱い娘御を傍らに、そんな残酷な与太話を聞かせるつもりだった、どうしようもない輩への途轍もない嫌悪感が、自然な反応で胸へと沸いたから。
「…。」
 今の彼が表情に乏しいその由縁にも通じることとして、昔からさほど…義に響いて動かされるというような熱血漢で無かったのは、物心付いたころから身を置いていたのが戦さ場だったからであり。実戦の場では綺麗ごとなど一切通用しないし、情にほだされて動くなんてのは愚の骨頂。失策が招く不利は、自分にだけで収まらず部隊全体への波及の恐れだってあるだけに、理に沿わない迂闊な思慮なぞ絶対に許されなかったし。周囲だの部隊だのを意識しなくていい、侭に居られる立場になったらなったで。同じ立場の者としか覲
(まみ)える機会は無くなったので、そこには瞬時の対応や食うか食われるかという牙の冴えしか存在せず、情など皆無だったと来ては。そのようなものを胸中に転がして感じ入る術など、そもそも知りようがないというのが正確なところ。ただただ敵を凌駕することしか知らず、それだけが全てで。難敵をどう料理するかにしか心が弾まなかった彼へ、情や熱というものを…心温まる想いというものを刷り込んでくれた人がいて。刀の競り合いで得られる刹那の瞬光、強烈だが一瞬の愉悦とは全く別口の、奥深くて儚い温みの切なさ甘さとそれから、それらの得難さを知ってしまった彼は、だが。ともすれば以前よりも、
“太刀筋が巧みになったような気がするのだがな。”
 人としての厚みが増した、これも効能かと。感慨深げに想いを馳せる、こちらは勘兵衛様だったりするのであるが。…いんですか? 今の今、そんなお呑気な思慕に耽ってて。首尾よく運んだと見定めて、わさわさと姿を現した気配は、間近にだけでも十人以上。森のあちこちにも見張りが張っているようなので、全部で三、四十人はいるのかも。いくら凄腕の剣豪様だとて、重くて着慣れない婚礼衣装とその装飾品なんてな重装備をまとわされての櫃の中では、侭に動けないかも…と、案じる間もなく、

  「どぉれ。そんな別嬪さんならば、とっとと ものにしちまおうじゃねぇか。」

 無事に返す気なんてさらさら無い。思う存分 手込めにし、飽きたら何処ぞへ売り払おうとしか考えてはいない、どこまでも下衆な連中であり。黒塗りの大きな櫃へと歩みを運ぶと、間近にいた手下に目配せをし、重々しい蓋を開けさせる。内側は品のいい朱で塗られてあった櫃の中程、絹の反物やら宝石を詰めた小箱やらに揃えたお膝を埋めるようにして。頭から肩までを覆う、白紗のかつぎも初々しく。綺羅らかな装飾品で飾り立てられし純白の衣紋を着、やや悄然と俯いた“花嫁”という名の贄が座っている。

  「…。」
  「待たせたな、娘さん。
   土地神様なんてな、得体の知れない化け物じゃあないから安心しな。」

 言うに事欠いて、勝手にも程がある言いようを高らかに嘯
(うそぶ)き、周囲の手下らが頭目の言い回しを褒めちぎるように笑声を高めた…のだが。

  「………弥太。」

 ふと。頭目がその巨体を揺らしながら、背後を見やり、肩越しに手下の一人へと声をかけた。へいと応じたのは、あの内通者と会っていた男であり、
「どうしやしたか? 頭
(かしら)。」
「この娘、金髪じゃねぇんじゃねぇか?」
「…おや?」
 まずは存分に堪能してもらおう、邪魔はするまいと気を利かしてのこと。蓋を取りのけた手下らも素早く降りていて、祭壇の上には頭目しかおらず。そんな彼が見下ろした先、ちょいとごめんをと一礼してから駆け上がり、同じく覗いた弥太の眸にも、そこに座している人物の髪は…確かに淡い金の色には到底見えない。
「あれじゃないすか? 篝火の下で、しかもかつぎ越しだから。」
 それでじゃないんですかねと。陰ってそう見えるだけなんではと、言葉を足したのへ、
「そうかの?」
 まだどこか怪訝そうに首をひねった頭目だったのは、他にも違和感を覚えさせるものがあったから。
「気のせいか、この櫃はまた、えらく馬鹿デカイとは思わんか?」
「それはあれですよ、何たって長老の娘御としての“花嫁”だから。」
 お宝をこんなにも積んだ見栄に合わせて、箱嵩もデカクなっちまったんですようと、即妙に応じたものの、
「もう一つ、気になるんだがの。」
「へい?」
 顎に手を添え、う〜んと唸った頭目がその“一つ”を自分から言い出す前に、

  「…何でこの娘御は、このように丈が大きいのかの?」

 そんなお言いようとともに、櫃の中にてすっくと立ち上がったは、土地神様への花嫁さん。いやに低くて深いお声を発したのみならず、よくよく見やれば、首に綺羅らかな飾り鎖を何連か掛けてはいたが、その他の装飾品など、一切まとってはおらず。衣装も、白は白だがどこか褪めた色合いの、随分とくたびれた長衣の袷と外衣との組み合わせという、婚礼衣装とは程遠い普段着であり。顔まで覆う かつぎに掛けられし手には、軍用だろう侍の刀使いが用いる革製の白い手ぶくろ。そのままサッとかつぎを取り去れば、現れいでたは…背中まで垂らした蓬髪も、その精悍さに野趣を足すばかりという、いかにも深みある渋みをまといし、壮年の男性の貌であり、

  「な…っ!」

 唖然呆然と固まった頭目の様子に、すわ、何かしら不手際かと、色めき立った手下どもへは、

  「…え?」
  「なっ!」

 それらの背後を通り抜けたは、一閃の稲妻か突風か。はっとした次の瞬間には、それが通り過ぎた後に立つ者らの背中から、大太刀軍刀のことごとく、鞘ごと斬られての真っ二つに破断され。落ちかかる柄に巻かれた提げ緒が、宙を躍りながら肩越しに主人の頬や頭を叩いては、持ち主へそれと気づかせているばかりなり。
「な…っ。」
「なんで?!」
 鋼を断ち切れる鎌いたち…なぞ居なかろに。だが、では一体何が起きたのか。視野に何者をも捕らえられぬままに、一体何が起こっているのか、まださっぱりと判ってはおらぬらしい連中で。中には、
「ももも、もしかして、本物の土地神様が怒って出て来たとか?」
「ばばば、馬鹿か、お前はっっ!」
 上ずった声で罵り合う下っ端たちが居たりもする中、ふっと。自分たちの傍らにゆらりと立った消気に気がつく。無いことへと気がつくという、ちょっとした矛盾。雑多な感触が不意に削ぎ落とされてのいきなり、そこに虚洞
(うろ)が…冴えた空間が穿たれたような感触がして、恐る恐るに顔を向ければ、

  「…。」

 頭へと冠した金の髪や、頬や額の白い肌へと、風に躍る篝火によるまだらな陰を散らされし。何の感情も載せぬ赤い眼差しと凍った表情とが間近にあって…ぎょっとする。無論のこと仲間内の顔ではなく、
「な、ななな、なんだ、あんたはっ!」
 驚いたそのまま、身を遠ざけようと男らが後ずさったのへ、
「…。」
 本人は少しも動かぬまま、なのに何かしらの風が彼らの狭間で沸き立って。次の瞬間、

  ――― 斬っ、と。

 剛い風が起こって、それから。数歩は遠ざかったはずなのに、そして相手はその場から小指1つ分さえ動いていないのに。彼らの視野へ、ぱらぱらっと降ったものがあり。
「…ひ。」
 顔を伝って降り落ちたもの。それぞれの頭の上から滑り落ちたは、各々の髪だ。まさかにつるつるに剃るまではいかなかったらしいが、五分刈りに近い刈り方にはなっており、刈られた髪が容赦無く降って来たのだと気づいてそのまま、
「ひ…っ。」
 口をぱくぱくとさせてから、揃って大人しく卒倒してくれたのも、所詮は下っ端レベルの肝であったがゆえか。
「何だ、そっちのはっ!」
「いや待て、こっちの奴こそ何物だっ!」
 自分たちこそが“人ならぬ身”を騙った存在だった筈だのに。本物さんたちからの逆襲を受けたような、いきなりのこの急展開へ足元を掬われたか。何が何だかと混乱したまま逃げ惑う手下共の方は、今宵は相方とお揃いか、こちらも白くて裾長な衣装でいる金髪痩躯の剣豪殿が。その婚礼衣装には少々勇ましすぎる添え物、背に負っていた赤鞘から抜き放ったそのままに、白い両手へと握った双刀、純手と逆手に構えてそれから、体の前にて腕を交差させてのち、

  ――― 哈っっ!

 獲物へと放たれた猟犬か猛禽か。しなやかなその腕の延長、細身の双刀を右へ左へ巧みに薙いで、時にはぐるんと大きく持ち替えての効率よく。ばっさばっさと軽快な“峰打ち”にて。先程までの威勢は何処へやら、逃げ腰見え見えな連中を、片っ端から仕留めており。
「あわわ…。」
 数に任せての取りこぼし。他の仲間らが次々に倒されているのに押し出され、逃げ惑うクチのその一番最後に残りしは。さっき嘲笑った村人たちよりみっともなくの腰高に、枯れ葉の積もった足元へ這うようになり、何とかして逃げ延びようとした弥太とかいう男。それへは、久蔵、刀をその背の鞘へと仕舞い込み、
「…。」
 いつもより長くてふわりで邪魔な裾。膝あたりをちょいと摘まんで持ち上げると、出て来た足の爪先で、尻を思い切り蹴ってやって突き飛ばす。ずっと変わらぬ無表情でありながら、その実、先程からの彼の態度のあまりの卑屈さに、刀で触ってやるのも汚らわしいと思ったらしい。一方で、

  「な…何だ何だ、お前らはっ!」

 息継ぎの必要もない一息にてという感のあった、それは鮮やかな剣戟が一通り。まるで一陣の風が吹き抜けたその後には、何にも残ってはいませんでした…を地で行くような、それは見事で手際のいい殲滅を済ませた、金髪痩躯にまといし白い輿入れ姿も嫋やかな青年と。贄でございますと偽って櫃にいた、妙齢の娘御とは到底掛け離れた風貌年齢の壮年と。篝火の炎とその陰が夜風にばさばさと躍っては夜陰を彩る、森の中の亜空間の一角にて。思いも拠らぬ窮地に立たされた小悪党の頭目は、それでも…多少は意気地があったか、腰の得物、大ぶりの蛮刀を引き抜くと、櫃の中に収まっていた蓬髪の壮年へと向け、
「でぇりゃあぁぁっっ!」
 地響きを誘うような怒号咆哮轟かせ、恰幅の良すぎる身体をだぶつかせつつも、その切っ先を大きく振りかぶって、空間ごとの真っ二つを狙ってのような強力で、大刀、一気に振り下ろしたのだけれど。
「…はうっ。」
 相手は何せ、雷電の振り下ろす斬艦刀さえ、避けたり弾いたり、刃を裂いたり出来るお人だ。一気呵成に落ちて来た幅のある刃を、
「…。」
 手早く抜いた太刀の切っ先にて…のれんをちょいと掻き分けでもするかのような、それはそれは軽い所作にて脇へと押しのけ。そのまま釣り込む格好で、巨体をこちらへ流すとたたらを踏ませ、刃から離した刀の柄の先、緒を提げるための銀意匠の金具にて、伸び切ったぶよぶよの背中のかいがら骨の下あたり、がつんと叩き伏せて人事不省にしたところで、始末は終了。ご自分はほんのちょちょいで終わった仕儀であり、居残った意識のある者同士で瞻視を交わすと、

  「ちょっとは良い運動になったかの?」
  「〜〜〜。」

 あれほどの運動量をこなしても微妙なお顔をして見せて、薄い肩を落としながら吐息をついた金髪痩躯のお連れ。そんな彼へと向けて、何とも言えぬ、だが、甘やかで擽ったそうな苦笑をひとしきり零した、勘兵衛様であったそうな。







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